【分析】5月10日にロシア軍の大部隊が壊滅した件

 

つい先日、ロシア軍の大部隊がリチャンシク周辺のポケットを分断して包囲するために渡河攻撃をした。ドネツ川をビリホリフカという村の近くで渡河して攻撃をしたのである。この攻撃がかなり大規模だったのだが、大失敗に終わってしまったという事でツイッター上では騒ぎになっている

まずその様子をその場にいた人がツイートしていたので時系列順にまとめて分析していこうと思う

LiveUAMapよりドンバスの5月8日の大まかな戦況 今回ロシア軍が突破を試みた地域は北側の矢印の通りである 破線はもし成功したらたどっていたであろうルート

この一連のツイートをした方は戦ったウクライナ軍部隊の偵察隊の隊長であった。
以下彼の投稿したツイッターの投稿をまとめたものである

Google Earthより今回の戦場の周辺の写真

5月6日以前ドネツ川対岸でロシア軍が様々な車輛を集めているという情報があった 

5月7日HryhorivkaとBilohorivkaの両地域が捜索され、ビロホリフカの部隊は対岸に複数のロシア軍車両が集まっていると報告 

・ビロホリフカ周辺でドネツ川を渡河できる地点は川幅がおおよそ80mあり、ポンツーンはそれぞれ10mなので8個必要である。また川の流れの為にポンツーン設置にはモーターボートが必要であり、作業時間は最低でも2時間必要であると見積もられた。 

・偵察隊はモーターボートの音に注意するよう指示され、実際にロシア軍が行動を始めた時にはそれを視認できなかったが、音で存在を確認して報告することができた。 

・ロシア軍は森と野原に火を放ち始め、また大量の発煙手榴弾を使用したため、この地域の視界は悪くなった。そして5月8日早朝に彼が報告した地点でロシア軍は渡河を始めた。 

・ポンツーン設置が確認でき、そして橋のパーツが7個設置できた時、ロシア軍はいくつかの車両が川を超えて活動できるようになった。 

・偵察部隊がロシア軍のポンツーン設置を確認してから20分後、重砲兵と航空部隊は戦闘を開始した。 

5月9日の朝までに、ポンツーンは落橋し、30~50の車両と歩兵が対岸に取り残された。彼らは壊れた橋を使って逃げようとしたり、新しいポンツーンを作ろうとした。 

・その後航空部隊はこの地域を激しく爆撃した。それはロシア軍が新たに作ろうとしたポンツーンと取り残された部隊を破壊してしまった。 

5月10日までにポンツーンは完全にダウンした。 

・噂によれば 最大1500人が死亡。ロシア軍の目的はビロホリフカ北東でドネツ川沿岸の街リチャンシクを取り囲むためであった。 

 

このような感じでロシア軍の1個以上、2個もしくは3個大隊が1日で壊滅してしまったのだ。ロシア軍は基本的に全線で数的優勢は維持しているので、それに攻撃のイニシアチブを得ることで圧倒的優勢な中で行動を開始したはずである。それがなぜか最悪の結果に終わってしまった。

何かがおかしい。

この人は偵察隊としての見方で戦いを報告しているので、実際の戦闘についてはあまり詳しく書かれていないが、断片的な情報と写真から戦いの詳細を分析してみよう。

 

まずロシア軍は5月8日早朝に48°57'1.88"N 38°13'34.58"Eの地点で渡河した

ロシア軍が大量の発煙弾を使用して視界が悪くなったことや、橋のパーツの7個目が設置されロシア軍が渡河して活動できるようになったとの報告の後、20分後には砲兵と飛行機が活動を開始したとある。そしてこの後重要な1日がすっぽ抜けているのである。恐らく彼は偵察の為に前進していたが、攻撃を報告したのちに頑張って後退していたのだろう。

渡河点の様子をGoogle Earthより画像で

砲兵も飛行機も、相手の位置がわからないと攻撃の効果はなくなるか極めて薄くなる。現場は広い森である為、初めに活動を開始した5月8日ではあまりロシア軍部隊に対しての攻撃をできなかったと思われる。どちらもロシア軍部隊というよりポンツーン破壊や交差点爆撃に意識が向けられていた可能性が高い。

つまり5月8日の時点ではロシア軍は情報がベールに包まれていてウクライナ軍の砲兵や飛行機から攻撃をあまり受けていなかったと思われる。

そして5月9日の朝までにポンツーンが破壊された。ただこれだけがロシア軍部隊に撤退の決断を迫るものではない。渡河した後連絡が途切れても、今保有している物資で活動することを試みるはずである。ロシア軍が優勢なら、今ある余力でクリティカルな陣地を確保して再び連絡が繋がるまで待機するという選択もあったのである。だがこの時までにロシア軍は退却を試みていたようなのである。

この1日の間に何があったのだろうか?運のいいことにSentinel-2が8日に撮影していたのでSWIR(短波赤外線)画像を使って確認することができる(衛星は地球を回るので数日に一回しか写真が撮れない)。

5月8日のビリホリフカのSWIR

短波赤外線は水分が吸収してしまうので、川が真っ黒に見え、逆に火事があったりすると真っ赤に見える。戦場では「概ね戦闘があった場所」としてみることができる。5月8日の24時間はウクライナ軍が篭っていたであろうスロフ山がボコボコにされており、最終的にロシア軍部隊がぶっ飛ばされた渡河点周辺は何かが起こった様子が無い。

この画像から、5月8日は恐らくスロフ山攻略の為にロシア軍は戦闘をしていたと思われる。

それが9日朝には「逃げ出そうとした」わけである。スロフ山が攻略できない!といった話であれば、その場で待機して増援を待てばよい。逃げ出さなきゃならないほどの逼迫性をロシア軍に与えるのは何だったのだろうか?ウクライナ軍の反攻がもっともらしい理由だと考えると一見つじつまが合うように思える。

だがこれはおかしな話だ。基本的にロシア軍は数的には優勢である。更に先ほども述べた攻者のイニシアチブとは攻撃者が意識的に選択した戦場に一挙に大兵力を投入できるため基本的に攻撃者が数的優勢を確保できるという原則だ。

またウクライナ軍も5月6日以前に察知していたとはいえ大兵力を集中しておくわけにはいかない。なぜならスカしたとき大変なことになるからだ!事実ここの西方12㎞ほどのドロニフカでもロシア軍は渡河攻撃を試みた。これもまた失敗に終わっているが、この事がウクライナ軍に兵力の集中を許さない。

筆者はこれらの事からロシア軍が数的優勢であり、数的に劣るであろうウクライナ軍が迅速な反攻を行うことは難しいのではと考えている。

であるならばスロフ山が攻略できなかったが、増援は未定であり、攻略を狙い続けるなら今後しばらくここに拘束されてしまう事が発覚したため、拘束されることを嫌って撤退を選択した、とも考えられるかもしれない。

いったんこの事を「不明な理由」と置こう。ロシア軍は不明な理由で撤退を強いられたのだ。

5月9日朝までにポンツーンが破壊されたことで30~50両のロシア軍車両と歩兵が川を渡れず取り残された。彼らは壊れた橋を使って逃げようとし、また新しいポンツーンを作って逃げようとした”

ここで一気に情報の解像度が高くなった。5月8日はポンツーンの完成の時以降話が全くなかったが、5月9日朝から急に具体的な数字や相手のしようとしている事まで情報が出てくるようになった。恐らく書いた彼はドローンなどで観測することができるようになったのであろう。

詳しく観測ができるようになったという事は砲兵や飛行機が機能し始めたことを示す。

”その後航空隊はこの地域を激しく爆撃した。それはロシア軍が新たに作ろうとしたポンツーンと取り残された部隊を破壊してしまった”

このように書かれている事からも、5月9日朝から砲兵と飛行機は激しく攻撃を加え、ポンツーンを破壊し、取り残された部隊を袋叩きにし、もう一度ポンツーンを作って逃げ道を作ろうとする必死の試みを破壊して全滅させた。

右側の壊れた1つ目のポンツーンと左の構築中の2つ目のポンツーン。そして妨害の為の白い発煙弾。

そして5月10日までにポンツーンは完全にダウンしたと書かれているが、多分2個目が壊れたことを言っているのだろう。ツイッターで話題になっている画像は9日朝から10日までに撃破されたものを撮影したものだろう。

そして3個目が作られなかったという事はこの時までにロシア軍は諦めたのだろう。もしくはこの時までに対岸は全滅してしまったので救出する必要性がなくなってしまったか

恐らく5月10日より後の写真。右側の2個目のポンツーンも破壊されて沈んでしまった。先ほどの写真と撮影方向が異なることに注意。恐らく真東を向いている。

ロシア軍のこの失敗で被った被害は最大1500名の兵士とされる。それは約2個大隊分である。ロシア軍はしばらくこの地域から攻撃を仕掛けることができないだろう。

この戦いはドローンなどで情報を収集することの重要さを示しているような気がする。なぜロシア軍が撤退を選んだのかは不明だが、その最中にスポットされたとたん飛行機と砲兵に捕捉されて壊滅させられてしまったのである。

いつだってそうなのだが、軍隊は退却するときに一番の大損害を受けやすい。この記事では迫れなかったが、ロシア軍が撤退を選択せざるを得なかった理由についても今後明かされることを願う。

川岸で破壊されたロシア軍車両

林の中で破壊されたロシア軍の車両

上の画像の場所を別角度から撮影した写真

余談だが、最後の攻撃について航空攻撃でやったことは彼の証言通りだが、その際にウクライナ空軍がクラスター爆弾(RBK-500)を使用した疑いがある。RBK-500はHEATの子弾をバラまいて戦車の天板を攻撃できる兵器だ。その根拠は、

 

クラスター爆弾でないなら榴弾かAGM(空対地ミサイル)で攻撃したことになる。だが榴弾を使ったなら木々は根こそぎ吹っ飛ぶはずだが木の葉が散っただけである。またAGMを使うには森は不都合だ。更に両者はいくつかクレーターが残るはずだがそれが無い。

Ⅱ写真に写るロシア軍の車両は、どれも弾薬が誘爆したような壊れ方をしている。これはなにかが貫通した証拠である。榴弾で攻撃したならひっくり返るような壊れ方をする。さらに榴弾は装甲車両を攻撃するには効率が悪い(最もその場にいたのは装甲車両だけではないが)。

Ⅲ現場は森で、航空機は目標を視認することが難しい。更に攻撃の最中にもロシア軍は煙幕を焚いて妨害していた。このような状況ではAGMは射撃できない。位置だけ通報されれば攻撃できる榴弾クラスターしか運用できない。

 

以上の3つの理由に合致するのはクラスター爆弾しかない。ただ注意するべきはこの戦争でクラスター爆弾を非難するレトリックは「ロシアが市街地にクラスター爆弾を使った」というものであり、人のいない森の戦場では問題ないことだと言える。さらにウクライナもロシアもクラスター禁止条約に参加していない。